割れたガラスが培う愛着#week44

雨の中、車の窓から家を撮る。足場が取れた日。

割れに割れた古ガラス。夫の決死の覚悟と丁寧な作業にも関わらず駄目だった。苛立ちを抑えられない夫。この古ガラスを手に入れるために私たちは上諏訪にあるリビルディングセンターまで足を運び、限られた時間の中でちょうど良いサイズを見つけ出すのに苦戦しつつ、両手で抱えきれないほどの大きなサイズのガラスを抱えてすごい速さで階下まで持って降りて会計し買った。古材で建具を作りたいとはいえ、費用がかかり過ぎるのでは私たちにとってあまり意味がない。少しでも安く、と努力して手に入れた素材だっただけに、割って無駄にしてしまった悔しさはわたしにも想像がつく。サイアクダ、、、という呟きに同感しつつ、ツイテル、超ラッキーと心の中で言ってみる。とりあえず、ツイテル側面は見つけられないまま。

この投稿の下書きを書いたのが9日前のガラスカット作業当日のこと。その後工事は進み、漆喰の下地塗りが思っていたより順調に、スピード感を持って進んだことで、この時最悪でしかなかった心持ちが、振り返ると最早不思議なほどに変化していることが分かる。苦労して手に入れた古ガラスがすべて割れてしまってラッキーだった側面だって、事実ある。ガラス加工の難しさを知ること、プロの方への尊敬の思い、加工ガラスの代金への納得感。どんな物の価格も、結局は人の仕事への対価なのだと実感する。

家づくりをして良かったなと思うのは、そんな風に半ば強制的に、『失敗する』ということへの反応を変えていかざるを得なかったこと。いつだって全力で挑んでいるのだから、失敗がないなんてあり得ないし、失敗によりお金や時間は一時的には損失を生んだように見えるけれど、実際は無駄なんて存在しないと分かってくる。

扉の出来上がる日が楽しみ。

さあ、この扉はどんな風に仕上がるのだろう。プロの加工してくれたガラスはどんな風に収まるのだろう。この扉を見るたびに、出来上がるまでに過ごした時間が浮かび上がるのか、すっかりと忘れるのか、それは分からないけれど、これが『愛着』というものを生むのなら、すべての時間に意味がある。

父の横でノコギリ仕事。

傍目にはなんだかいい感じのこの写真。この環境で慣れないガラス加工作業に集中するのも限度があったと夫談。そうだろうよなあ。。。でもすべてが、良き。思い出になるとだんだんとわかってくる。お姉ちゃんはいい子に本や漫画を読んでくれて助かるのだけれど、運動不足が心配になったり。あっちが出ればこっちが引っ込む。このすべてがわが家の景色、私たちの織りなす色彩なのだと自覚し始めました。気づけば家の完成まで、あと3ヶ月弱。ここからは毎週末変化が生まれていきそう。

kaori

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