宝くじが当たらなくても、つくれる。

先日某イオンモールへ行ったら、ソーラーシステムのメーカーさんがイベント出展をしていて、子どもたちが喜びそうなものことがスペースいっぱい広がっていました。抽選のガラガラや、パチンコ台にビー玉を落として、走っているプラレールの荷台に落とせたら大当たり!の楽しそうなゲームに参加する資格を得るため、時間にして20分強でしょうか、促されたアンケートに答えて行くと、ソーラーパネルを取り付けることのコストについての情報を自然と学べてしまうという仕組みになっていました。流れるような会話の運びに、会社の熱意を感じましたし、知らなかったソーラーパネルの世界に触れられました。

そのとき、もし今のご自宅にこれからつけられるなら、どのオプションを選びたいですか?と提示された質問が「カーポート、ウッドデッキ、サンルーム、お父さんの一人の部屋、お母さんの一人の部屋」などいくつかの項目。答えようとする前に、お話ししてくださったお姉さんが「宝くじが当たったと思って考えてください!」と補足してくれたんです。

でも項目を見ながら私たち夫婦は一瞬言葉に詰まりました。「宝くじが当たらなくてもできる。」「材料さえあれば、作れる。」二人とも心のうちでそう思っていたからです。夫は既に仕事部屋がありますが、わたしの部屋も必要なら庭に小屋をつくれば良いと思っています。家のオプションは、お金がかかってハードル高い。だから是非、宝くじが当たったつもりで考えてください!とお姉さんは先回りして補足してくださいました。

でも私たちにその感覚はいつのまにか無くなっており、必要なものは、必要になった時にコツコツでもつくれば良い。ということがとても自然な思考だったんです。これは、自分達の感覚(思考を挟む前の、無意識に出てくる感情、といえば良いでしょうか?)が、いつの間にか変わっていたことを実感する瞬間でした。

最近少しずつできてきた玄関ポーチ。(古椅子などが置いてあるウッドデッキのような部分。玄関の屋根もこれからつくる予定。)
竣工時が完成ではないわが家は、いつも変化していく。

後日わたしは会社に出社し、いまセルフビルドをしても、材料自体が高騰してしまって、価格がどうしても抑えられないというお話を耳にしました。そして、見積り価格がより抑えられている会社さん、よりローコストで建築が可能な住宅に、お客様は行かれてしまうかもしれないね、というお話しも聞きました。

そのことをとても残念に思い、こうして記事をつくらせて頂きました。セルフビルドをする理由は値段じゃないのだと、このとき初めて本当によくわかったのです。

ウッドデッキも最近できたばかり。こちらも屋根がまだで、雪解け水がかかる問題は、なんとかしなくてはならないところ。でもひとつずつ解決していく道のりには、なぜ必要なのか、あって当たり前、ではない感覚を、体に落とし込んでいく道のりに思えるのです

家づくりをはじめる前の私たちは、安く作れないなら作りたくない、できたら私たちも、私たちのお支払いできる価格内で建てて頂いて、引き渡しして頂けたらどんなに素敵だろう。

正直に言えばそう思ってました。

でも建ててしまうと違うのです。

値段じゃない。自分で建てることは計り知れない価値がある、という実感がある。建て終わってから言うのはちょっとずるいのですけれど。

なぜなのでしょう。なぜ値段だけじゃないのでしょう。ここを言語化しなければいけないと感じています。お付き合いくださる読者の方と出会えますように。

kaori

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